多くの人に「自分で考え抜く力」が欠けている話
こんにちは、トールパスです。
最近の人々は、若者を中心にして「自分で考え抜く力」がかなりかけていると、自分の周りにいる人や、今までの経験から感じています。
なぜそう考えるに至ったのか、これから説明していこうと思います。
1.きっかけは高校時代にさかのぼる
高校時代に通っていた塾で、違和感を持っていたのが、「わからない部分をすぐに質問しに行く生徒が大量にいた」という事実です。
多くの教師が「わからない部分はそのままにしてはいけません。」と口々に言います。それは、塾などで顕著です。
確かに「わからない部分をそのままにする」というのは受験では絶対にやってはいけません。ですが、問題はその解決方法にあるのです。
僕が観察している限り、多くの人がわからない部分を自分できちんと調べずに、すぐに質問しに行っていました。そしてそのままわかったつもりでいるのです。
だから成績が伸びない原因になるというのに。
少し話が飛びますが、受験において必要なこと、それは「テスト本番でも自分でゼロから作り上げる力を養うこと」だと僕は思っています。と同時に、この力は受験勉強を終えても自分のスキルとしてはっきりと残る唯一のものなのではないかとさえ思うようになりました。
これが、日頃から自分でしっかりと考えずにすぐに質問に行ってばかりいると、テストなどの自分以外に頼るものがないときに失敗してしまう原因となります。
大事なのは、思考力をつけることです。僕は、浪人時代にこの力を徹底的につけることに専念しました。わからない部分があってもすぐに質問に行くのではなく、わかるまで徹底的に考え抜きました。
日頃の学習ではわからないこと、自分で解決するのが難しい問題に遭遇しても、すぐにわかる人にたずねるのではなく落ち着いて、本などを参考にして自分でしっかりと考え抜きましょう。そして、自分なりの答えを出して、そのうえで、その道を専門としてる人に尋ねましょう。
この思考力は、これからのAI時代を迎えるにあたって、AIに対抗できる手段の一つでもあるのかもしれません。
2.それは大学でも起こった
大学でも、「自分で考え抜く力」が不足しているなと感じる場面は多々起こります。
それは、大学で出されたレポートを書くときに起こりました。
教授たちがレポートを出題する目的はおそらく、レポートを通して習った知識を活用し、未知の問題を解決する能力を学生たちに身につけてもらうことにあるのではないでしょうか?
ですが、多くの学生たちは、インターネットを利用して、レポート課題の答えを探しに行こうとしています。これは、本来のレポートの目的にそぐわないのではないでしょうか?
現状では、大学生のレポートの解決手段として、ネットからストライクな答えを探し出すことが一般的となっています。これなら将来的にAIにやらせても確実にできるようになるでしょう。そうなってくると、極論として人間の存在すら危ぶまれます。
もちろんこのような反論もあるでしょう。ネットはすでに大衆図書館のようなものと化してるのだからネットを利用しても問題はなかろうと。
ですが、ここで言いたいのは、新たな知見を得るためにはネットを活用して情報収集をするのは十分にあり(その時は正しい情報を得ることが大切)だとは思いますが、すでに習った、もしくはすでにあたまの中にある知識を利用して解決できる場合は、自分の力を最大限に利用すべきだということです。
将来AIに人間としての立場、存在意義を奪われる前に、私たち人間はもっと思考力をつけるべきではないでしょうか?
映画「マトリックス」の世界のように、将来人類が機械に家畜化されないことを祈ります。